AM 症例検討会
PM 午後質疑応答
私は、「前歯4本の矯正治療後の側方歯群交換期について小学校授業をどう受けるのか?」について、質問をしました。
私の立場は、いつも「患者さんの生活をしながらの医療が、歯科医療である」という信念があります。
「では?実際、小学校の授業は、矯正を受けている子供はどうするか?」を、常に考えなくてはいけません。
学問や統計学は、不都合なものを、排除する事により体系化されたものであり、決して、オールマイティな理論ではありません。
(私は、細菌形態学という書籍の中で、外国からは入ってくる情報は、必ず、ウソな部分が一部ある事実を、読んだことがあります。)
我々は、あくまでも経験科学に立脚した考えが、現場には必要です。
つまり、個々人の口・生活・気になるところ・希望している程度、事情等が、このやり方が Best なのか?を常に、疑問を持つこと。
そして、それに応えているか?を常に問いかける事が、臨床家には、必要である思っています。
今の医療は、「理論上 行った」でも、結果が、不良である。
ならば、患者さんが、悪い。仕方がない。という傾向がある様な気がします。
しかし、別個体のデータを、「他の人」に当てはめる事が、最善なのでしょうか?
ここに、私は、「医療」と「科学」の違いがあると思うのです。
「医療」は、評価基準がないという事です。
科学は、同じ条件、同じ環境、同じ方法で、検証し、試行錯誤をして発展してきました。
「歯科医療」は、「実際に、治療前後の生活の質が、向上したか?」を基準に、評価しなければいけません。
そこは、患者さんの咀嚼学であり、決して、歯の形態がどうの、歯並びが綺麗になった・・など、写真、模型上診断ではありません。
私は、常に、「この治療をする事で、患者さんの生活の質が向上するのか?」を考えて行こうと思います。
なぜならば、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」という言葉があります。
つまり、我々は、祖先は、みな同じ永遠と続く兄弟なんだという考え方です。
私の兄弟だったら、どうするか?こんな言葉が、私の気持ちには、いつもありますよ。
西村